北海道胆振東部地震-第2章|停電・コンビニ・スーパー閉店・スマホ不通。
ライフラインダウン・停電と断水
実家から持ってきた水もなんとか運び上げ、
真っ先に体を拭きました。
風呂場へ行って洗面器に水を入れ全身軽く行水。
ポリタンク一個分の水を使い切りましたね。
気持ち良かったですよ。
残りのポリタン1個はトイレ用に取っておきました。
トイレの水も出ませんので水は超貴重品です。
この時点で停電は36時間になっており、
冷蔵庫の物は全部ダメになっていて異臭を放っていました。
停電が復旧しないかな~と、常時考えていましたね。
15:00頃食糧補給と思い、
車で出かけました。
信号はやはり点いていません。車もチラホラ走っている程度。
パトカーや消防車がサイレン音を出しながら走っていました。
コンビニへ3・4軒寄るもどこもやってません。
次に近所の2・3軒寄るもスーパーへやはりやってません。
せめて飲み物と思い自販へ、停電でダメ!
気晴らしに円山球場へ行ってみました。
なんとネットが繋がるではあ~りませんか。^^
電話は繋がりませんでしたが、
yahooで地震情報を必死に見ましたよ。ラジオで聞いている情報とほぼ同じでした。
家では繋がらない携帯が、場所によっては繋がる事がわかりました。
この間にも車内でIQOSや携帯の充電は欠かさずしていました。
2時間位居たと思います。
暗くなってきたので家に帰りました。
地震から2日目の夜に突入・・
「停電復旧しないかな~」と思いつつ・・
焼酎を飲み始めました。流石に冷凍室の氷は解けて無くなっていました。
実家で汲んで来た水で、焼酎の水割り・・
割と美味しいでしたね。酒飲んでると気が楽になるんですよね。
酒の肴は珍味や魚の缶詰。
赤貝缶・いわし缶・サバ缶・珍味の在庫は豊富にありました。
普段なら、キュウリでモロキュウでもとなるんでしょうが、
元々からあまり入っていない、冷蔵庫の野菜は全滅していました。
100均のランプで室内を照らしラジオを聴きながら、
ひたすら焼酎のんでました。
やる事なんかありません。出来ないといった方が正確でしょうか。
せいぜい「停電復旧」を祈るくらいです。
TV観れない・風呂は入れない・冷たいもの飲めない・
地震前の日常生活のありがたさをつくづく感じました。
朝・晩風呂入るんですが、風呂は入れなかったのが1番辛かったですね。
寝る時気持ち悪いんですよね。
地震2日目の夜も終わり寝ました。
地震3日目の朝
5時起床。寝る時間も早いので起きるのも早いです。早寝早起き。^^
思い切り期待して起きましたが、
ガックリ・・「停電継続中・・」^^;
ラジオをで情報収集するも進展なし・・
水汲みに近所の公園に向いました。
朝早のに凄い人が居るではありませんか、40-50人並んでいました。
自分と同じ、この辺に住むマンション住まいの人達だと思います。
これ何分待ち?・・と思い。
実家で水を汲む事にしました。
庭の水道栓で、
ポリタン2個とペットボトル4本満タンにしました。
母親は今日も元気そうでした。^^
おにぎり2つ持たしてくれました。
昨日に続き円山球場へ向かいました。
母親の持たしてくれたおにぎにを食べながら・・
駐車場でネットサーフィン!!ネットだけは繋がる。
電話はダメでした。
娘たちに電話してみると「ぷぅぷぅぷぅ」となり繋がらない。
知り合いに電話するが同じく「ぷぅぷぅぷぅ」となり繋がらない。
車で近所を走ってみると、
セブン一軒がやってるではあ~りませんか、
早速ダッシュで店内へ、「先ほど全て売るものは無くなりました」との事・・
次はローソンへ、やってません。
次は山の手セブンへ、やっていました。
店内は20-30人のお客さん・・
「一人2,000円まで・現金のみ」との張り紙がありました。
ジュース・チョコ・お菓子・IQOSタバコが買えてラッキー!
レジも使えないのか、店員さんが電卓で計算していました。
もちろんおにぎりや弁当は売っていません。
その買ったお菓子やチョコを食べたかと言えば、
すぐは食べませんでした。買って一安心みたいな感じでしたね。
店内は暗かったんですが、電気も来てないのにどうやって店開けたんですかね。
気合と根性だったのかもしれません。^^
セブンで買い物出来て少し元気になりました。
「ありがとう」って感じでしたね。
水を非常階段であげる
家に戻って、汲んで来た水を上げます。
ペットボトルは楽勝なんですが、ポリタンはキツイっす。
7階まで上げるのに汗だく・・
汲んできたポリタンで風呂で水浴びしました。
気持ち良かったですね~♪
はい、またやる事ありません。ラジオ聞きながら読書してました。
本当に何もすることもないんですよね。
ネットが繋がらないので、暇つぶしは読書くらいですかね。
それも上の空で読んでいるから読書とも言えません。
「停電復旧まだ~~~~」みたいな感じです。
その間にも小さい揺れはしょっちゅう起きます。
また大きい揺れきたら「ヤバイ」とか思いながら・・
洗濯物も溜まってきました。これに関してはあまり心配はしていませんでした。
いよいよ溜まったら、実家の風呂場で手洗いしようと思っていました。
自分は実家がわりと近所で、水やら食糧など頼る事が出来ましたが、
身内や知り合いが近くに居ない人は大変だったと思います。
そんなこんなで、夕方になりました。
晩酌の開始です。温い水で焼酎の水割り・・w
肴は珍味・・
停電復旧情報
突然ラジオから「停電復旧情報」が舞い込んできたではないですか、
「感激」しました。「万歳」ですよ。
札幌市全域が一気に復旧ではなく、順々に復旧しているとの事です。
「東区のどこどこが復旧」とか
「南区のどこどこが復旧」とか
自分に住んでる中央区も復旧してる地域もあるようでした。
それからずっとベランダで外を見ていました。
ところが18:00になっても19:00になっても外は真っ暗です。
19:30には琴似も復旧したと言うでありませんか。
ベランダから見ると琴似付近がうっすら明るくなってるではあ~~りませんか。^^
ところがラジオで、
「札幌市の全域復旧は明日になる」と・・・^^;
オラの家はもしかして明日かよ~~~と思いました。
ま~いいや明日でも・・・復旧するならと。
気持ちは急に楽になってきました。
またベランダで外を見るも真っ暗。
突然その時がやってきました。
20:20分突然まわりが明るくなりました。
「やったーーー」
「電気キターーーー@4お5※?い6~~~~」
部屋に入ると水道が「ズボ・ボォ・ボコ」とか音をたてながら出てきました。
マンション住人の歓声も聞こえました。
黄色い歓声や歓呼の叫びが・・
「ヤッタぁぁぁぁぁーーーー&%);jhs98*」
「電気キターァァァァ!!”#%&()~’#$ウォーーー」
みんな思いは一緒だったんですね。
この地震でマンション住人とも話す機会は自然と増えました。
エレベータが使えないので、非常階段を利用するんですが、
そこで立ち話をする機会が増えたのです。
みんな職場も学校も休みですから暇なんですよね。
住人が口を揃えて言うのが、
「停電には参った」と・・異口同音でした。
さっそく速攻で風呂にお湯を張りました。
気持ち良かったですね~♪
風呂ってこんなに気持ち良いもんだと今更ながら再認識しましたよ。
風呂から上がって携帯をいじると、
通話もネットも出来るではありませんか。
やはり停電が原因だったんですね。
こうして地震以来2日半・63時間続いた停電は見事に復旧したのです。^^
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