少年野球の思い出。全国大会には後一歩で届かず・・・

小学4年生の時に地元の野球少年団に入りました。

誰でも入れる訳では無く入団テストがあり、4年生になるとテストが受けれます。

20人が合格できます。

テストには野球好きな同級生達100人がテストを受けました。

テスト内容は

① 100メートル走のタイム

② 3キロ走のタイム

③ 守備テスト

④ 打撃テスト

⑤ 野球ルールのテスト

自分はどれそつなくこなしました。

野球を始めたのは特にキッカケはなく、当時は男子全員がプロ野球選手に憧れていた時代です。

近所の公園や野原で野球遊びしていました。

今はサッカーも人気がありますが、当時はサッカーをやってる子供は殆どいませんでした。

テストの結果発表は翌日です。

その日の夜はテストに受かるか不安で不安で仕方なかったです。

グランドの黒板に合格者の名前が発表されるんですが、

放課後にると友達たちと結果を見に行きました。

無事、自分の名前があり、

「めでたく合格!^^」

今でも覚えていますが、本当に嬉しかったです。

自分が入っていた野球少年団は地区最強で少年達の憧れの的です。

4年生のテストで不合格になると、5年生・6年生になっても入れない仕組みなんです。

これは今考えるとどうかとは思いますが、そういう決まりのようでした。

多分監督の考えだったと思います。

さっそく親に知らせようと思いチャリンコで家へもうダッシュ~~

母親に報告すると喜んでいましたね~

夜になると父親が仕事から帰ってきますので、報告すると大喜びです。

その日は焼肉でお祝いして貰いました。

父親も高校迄野球をやっていたので、喜びようは尋常でなかったです。

休みの日はいつもキャッチボールやノックを受けていました。

打撃練習と言うのはほぼせず、ノック受けの守備練習でした。

父親にも考えあったようで、まずは守備が上手くないと少年団には入れないと踏んでいたようです。

バックネットを背にしひたすらノックを受けるんです。

打球が顔面に当たろうが体に当たろうが、上手くなりかったのでガンガンやって貰いましたよ。

父親にもっと強くノックしてと頼んだのを思いだします。

昼頃になると母親が弁当とお茶の入った水稲を持ってきてくれるんですよね。

おかげで守備は同級生達の間でも一番上手かったと思います。

強いノックを受けていると打球を怖がらずに正面で捕球できるんです。

初めの頃は怖いんですよね。練習重ねると怖さも無くなってきます。

テストで入団した20名なんですが、

子供ながらに不思議に思った事が2つありました。

一つ目は、絶対受かると思った1人が落ちたんです。この同級生は親が変なので有名でした。

二つ目は、超下手くそだけど受かったのが一人。この同級生は先生の息子で監督と同僚でした。

大人の事情だったのでしょう。

この先生の息子は後日、試合を決めるエラーをしました。今でも鮮明に記憶にあります。

レフトを守っていたのですがフライを万歳捕球し後逸し、

試合を決める致命的なエラーをしました。

少年団には4年生・5年生・6年生のチーム編成で、

練習内容は一緒で、各学年にコーチがいます。

平日は放課後から暗くなるまで、休みの日は朝から暗くなるまで、

ほぼ守備練習でノックの嵐です。

守備位置ごとに30本ノックを受けてから連携プレーを延々とやります。

ダブルプレーの練習や外野からの中継練習です。

自分の守備位置はサードでした。

捕球後ファーストへ送球するわけですが、

悪送球して球が逸れると全力疾走で球を拾いに行かなければなりません。

自分はめったには無かったですが、2回も続くとキツかったですね。

バント練習も週一でやりました。球を当てるのと打球を殺す練習です。

失敗が続くと監督かコーチにバットで尻を叩かれます。

これけっこう痛いんですよね。

当時は体罰なんて当たり前の時代で、どこの親も公認です。

殴られたりはしませんが、平手打ちは時々ありました。

余談ですが甲子園中継でも監督が選手を思い切りゲンコツするシーンが普通に観れました。

罰ゲームとしてはグランド10周やウサギ飛びでグランド1周があるんですが、

ウサギ飛びのグランド1周は死にそうになります。

当時は練習中水は飲めない時代です。理由は分かりませんが日本全国共通でした。^^;

監督やコーチの目を盗んでみんな飲んでいましたが、見つかったら大変な事になります。

ズルして水を飲む時はグランド脇に水道場があり、汗まみれになった頭や顔を洗ってる時に飲むんです。美味しいなんてもんないです。

水稲の水なんかは練習中には飲めません。そんな事したら規則破りで下手したら退団させられます。

5年生になりました。

冬の間はグランドが雪で使えませんので、少年団活動は週一回体育館で体力トレーニングでした。

みんなスキーやスケートをしていましたね。

自分はスキーをしていました。

春になると練習が始まります。待ち遠しくてしかたなかったです。

5年生になると他所の少年団と練習試合が始まります。

こうなってくるとレギュラーと補欠が明確になってきます。

ユニホームに付ける背番号を貰うことになるからです。

監督から背番号を貰うのですが、心臓バクバク物でした。

5番「〇〇」と自分の名前が呼ばれた時は嬉しかったですね。

自分と同じサードを守っていた同級生は13番だったと思います。落ち込んでいましたよ。

同時に試合用のユニホームも支給されます。

練習後チャリで猛ダッシュで家に帰って報告。

背番号みせると母親は訳も分からず喜んでいました。

ルールには疎いのでなんでも1番が凄いと思ってるのか背番号5番の意味を教えてあげました。

母親にユニホームに背番号を縫い付けて貰い、嬉しさのあまり鏡で何度もみましたよ。^^

会社から帰ってきた父親もユニホーム姿を見て喜んでいましたね。

練習試合は週末に出向いて行くか相手がこちらに来るんですが、

こちらから出向く時は少年団のバスに乗っていきます。運転するのはコーチです。

監督から注意や連絡事項を伝えられ、最後に必ず礼儀正しく挨拶はきちんとしろと言われました。

移動の時は駆け足・試合中は攻守の切り替えを含め全力疾走が基本でした。

ミスしても怒られませが、この基本を守らないと怒られます。

因みにヘアースタイルは坊主刈りです。基本自由となっていましたが少年団全員丸坊主です。

この頃ヘアースタイルなんかは気にしたこともなかったですね。

どこのチームとやっても楽勝で勝つんですが、

一つだけ強いチームがありました。

シートノックを見てるだけで強いのは分かりました。

昨年の全道大会決勝で対戦した相手で、監督も気合入った感じでしたよ。

結果は2-1だったと思いますが勝ちましが、ギリギリ勝ったと言うかんじです。

他のチームと違いエラーはしないし、盗塁は刺されるで、

練習は凄いしてるんだろうなと思いました。

親達も見にくるんですが、子供より張り切ってるんですよね。^^

大歓声なんてもんでないです。親が応援に来ている同級生は恥ずかしがっていましたよ。

うちの両親も必ずくるんですが、父親が大声で応援するんですよね。恥ずかしいやら照れるやらで、家に帰ってから母親に「お父さんに静かにするように言っておいて」と言ったもんです。その後も同じで効果はなかったようです。

もうこの頃父親は甲子園狙いになっていましたからネ。^^;

酔うと所構わず「〇〇高校に(私立の野球名門校)に入れる」と言ってましたよ。

まだ小学5年生ですよ。w

自分も甲子園は憧れでしたが、テレビ見る甲子園はあまりにもかけ離れていて、あんなふうに自分はなれるのかと思っていました。

練習試合も全勝だったんですが、

同じ少年団の6年生チームやるとコテンパンに負けるんですよね。たった1年違いは子供の時はデカイですよね。

この年6年生チームは全道大会ベスト4まで行ってます。

監督の目標は全国大会です。

6年生の全道大会が終わると、

監督は5年生チームにかかり切りになっていきます。

目指せ「全国大会」ですよ。

秋口から猛練習です。

放課後から暗くなるまで、徹底的に守備練習です。

練習試合でもエラーする選手はまずいません。それでも毎日反復練習です。

連携プレー・外野からの中継プレー・ダブルプレーなどの基本練習です。

走塁練習もよくやりました。スキをみたらすぐ盗塁しろと

素振りは毎日30分しますが、打撃練習はほとんどしません。

守備重視は監督の考えなんでしょう。

たまにやる打撃練習は楽しいんですよね。キツくもないしイイ当たりすると気分もイイし最高!

いよいよ6年生になりました。

冬の間はスキーをやっていました。

少年団の練習は月1・2度の体力トレーニングとキャッチボール位です。

練習したくても雪でグランドが使えませんので、どうしようもありません。

春がやってきました。

5年生に続き試合用のユニホームと背番号が貰えます。

6年生になるとお下がりではなく新品のユニホームと背番号が貰えるんですよね。

背番号は引き続き5番を貰いました。

最後の夏が始まりました。

4年生から一緒にやってる同級生も全員残っています。誰も辞めませんでした。

毎日練習漬けですね。

練習・練習・練習・練習・練習・練習・練習です。

日曜日には練習試合もしたりします。

どことやっても負けませんでした。

地区大会も順当に勝ち上がり優勝し、

いよいよ7月になり全道大会が始まりました。

2回戦まではコールド勝です。

少年野球は7イニング制なので4回位で終わる事もありました。

負ける気なんか全くしなかったです。相手チームのシートノックなんか見ると強いか弱いかはスグわかります。練習試合した相手もいましたので実力はわかるんですよね。

それと監督を見てると分かります。のほほんとしてるんですよね。

サインや指示なんかも全くでません。

3回戦あたりから監督も気合入ってきました。

細かい指示やバント・盗塁のサインが出てきます。

見逃したら大変ですから必死こいて見る訳です。選手も必死になってくる訳です。

準決勝は前述した5年生の時、練習試合で2-1でギリギリ勝った相手でした。

やはり相手は強かったです。

試合中「今までの相手とは違う」と思いましたね。凡ミスなんかはしません。

投手戦と言うかどちらも守備が良いので、少年野球にありがちなエラーからの失点がないんです。

ピッチャーもここまで来るチームは良いピッチャーがいます。

辛くも1-0で勝ちました。監督も喜んでいましたね。

帰りのバスで「もう強い相手は居ないから全国大会に行ける」みたいな事言ってました。

家に帰ったら親は大はしゃぎです。

試合の応援にも来ていたのですが、

今日は良かったと、褒められ事・褒められる事

母親に至っては野球の事は何も分かりませんが「上手だった・上手だった」とニコニコ顔ですよ。

両親は、最大のライバルチームに勝ったので全国大会行けると思ったんでしょうね。

聞いてたら飛行機の予約の話なんかしてるんですよね。^^;

母親は母親で「ホテルはどうしようかしら」とか・・・おっそろしいっすよ・・・

この日の父親は祝杯上げすぎてかなり良い調子になってました・・・

寿司の出前とったりと・・・^^

両親をよそ目に、自分は全く浮かれていませんでした。

決勝で勝たないと終わりです。

決勝の相手はポコっと今年になって出てきたチームです。

監督もコーチもやる前からなにか楽勝感が漂っていました。

決勝戦の前日は札幌の旅館にチーム全員で宿泊しました。

みんなで枕投げやらなんやらして遊んでましたね。

円山球場で決勝戦です。

10:00試合開始だったと思います。

みんなすんごい緊張してました。

試合は1点先行されたのですが、4回に逆転して「これイケるんじゃねぇ」と思いましたよ。

所が相手も強いんですよね。守備はこちらが上でしたが、打つんですよね。

バッカ・バッカ外野へ飛球が上がるんです。

今まで経験した事ない事でした。

監督を見ると冴えない表情でした。

6回にツーアウト満塁の場面を迎えました。すんごい緊張したのを覚えています。

レフトへ打球があがりました。

先生の息子(前述したなぜか入団テストに受かった)の所へ打球が飛びました。

この日はなぜか先発起用されたんですよね。

監督が親に晴れの舞台を見せてやろうと思ったのでしょう。

押さえれば勝てていたと思いますが、

所が下手くそですからフライを万歳捕球し後逸・・・この試合2回目のエラー・・・

満塁一掃です。

いつもレフト守っている同級生なら訳もなくさばいたでしょう。

6-2になり終わったなと思いましたね。

攻撃は7回表を残すだけでした。

最終回は2点返しましたが、6-4で負けました。

試合後の整列挨拶が終わりベンチに帰ってきますが、

みんな泣いていました。監督は茫然としてる感じでした。

自分も泣いたですね。終わったと・・・

旅館に帰ってもみんな落ち込んでました。

3年間一生懸命練習したんですから悔しかったはずです。

みんな心の中では「凡エラのーバカ息子を」罵りたいた筈ですが言葉に出す同級生はいませんでした。

そいつも一応泣いてるんですよね。

それにしても監督は決勝でなぜ使ったんでしょうね。それまでずっとベンチです。

先発メンバー発表の時はみんなキョトンとしてましたもん。

夕方は旅館のごはんではなく監督がラーメン屋さんに連れて行ってくれました。

コーラーでもラムネでも好きなだけ飲んでいいぞと。

翌日家に帰ると親は凹んで様子は見せず。明るく振舞ってくれましたね。

これで少年団の活動は秋の大会を残すだけです。

大会と言っても大きな目標はなくただ試合するだけです。

練習もコーチが見るだけです。

監督は来年の全国大会を目指し5年生の指導に切り替えます。

野球少年だった頃は今考えても真っすぐな野球少年でしたね。

夏休みは他の友達のような遊びは出来ません。

毎日日が暮れるまで練習していました。

それでも楽しく楽しく仕方なかったです。

中学野球部へと続く

日記

Posted by chirokun